かん袋の由来

  かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年〈西暦1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。

 安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城したときに、堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(西暦1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人、納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻が餌を運ぶように職人が一枚一枚瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋が舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名付けよ」と命じ、それより「かん袋」が、和泉屋の商号になりました。
 
くるみ餅のできた頃
 室町時代の中頃には、堺の町は明(当時の中国)との勘合貿易の港として栄えていました。明より入荷した農作物を利用して、五代目の主人、和泉屋忠兵衛は塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名付けました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘未が加えられ現在のくるみ餅となりました。
 
氷くるみ餅
 明治時代になり、製氷技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになると、かき氷をかけて食べられるようになりました。それは、「氷くるみ餅」です。当時から、夏になりますと、涼感を求めて大勢のお客様が、お店に行列を作るようになりました。 

二十七代 かん袋主人 敬白

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